今週のお題「2017年にやりたいこと」盲点に踏み込む

今週のお題「2017年にやりたいこと」

■2017年にやりたいこと

やりたいこと、やりたいこと、やりたいことっていわれてもさー。

イマージン。想像してごらーん。
やりたいことは何かと問われ、どうしても答えられない。

そんなときは、金がほしーとか、モテたーいとか、ひとまずなんでもよいことはわかるのだけど、そーじゃなくて、自分なりにひねり出したい。


■でも出ない。まるで盲点。

答えられないときの頭ん中を探ってみるに(思考実験的というんでしょうか)、盲点のように、ポカンと空いてる気がするんです。

だから求めれば求めるほど逃げるというか、つかめない。


■そこをなんとか

そんな感覚を何度か いじくり回してたら、盲点というより、まるでミヒャエルエンデさんのモモに出てくる時間泥棒の灰色のヒトみたいな気配に思えてきた。

つまり、無い、掴めないものではなく、その一点から、逆に見張られている、見透かされている。

ゆえに近づけない。


■自分でブレーキ??

やりたいことがないっていうとき。

本当にないのだろうか。

正体はつかめないが、どうもイメージのなかでは、むしろ、やりたいこと自体が、僕をじっとみつめているようだ。

(おまえ、ほんとに、おれを、つかめるのか)


■例えば神様

(おおざっぱな例えですみません。しかも、色々な宗教があるなかで、例え自体むつかしいですが、この段落はサラッと読んでください。)

神様が現れて、真実の言葉を教えてくれたとして、素直に受けとめられるかな?

いや、そうはおっしゃいましても神様。
僕は僕ですし。なんて。


矛盾や不確実である自分が、いとおしくならんだろうか。


■つ ま り ?

やりたいことを受けとめられるかね?ってことだけど、ああ、そう思うと逃げ腰になっちゃう、、、うう。

やりたいことはこれであります‼って、言えたらいいのだけど、どうしても出てこない。出せない。

だけども、やりたいことを素直にいえないってのはやっぱし悲しいことだと感じる。

(なにかあるのだろう、素直に言えない背景には。)

だからこそ、2017(にいぜろいちなな)は、あえて、そこを攻めたい。


■思考の外側

宇宙を想像するに、未知の部分を想像すればするほど、知れば知るほど既知になって、外側じゃなくなる。

外側とのコンタクトは、予感するような、察するような、つかまずにつかむというか、求めずに得るというか、禅問答みたいなもんでしか、実現しないのか。

風 は実体ではありません、というと、ブブー!って不正解になる(ようです)。

だとすれば、、、宇宙の外側も、外側うんぬんとか、禅問答とかのアプローチじゃなくて、実体として認識しなきゃならないのかも。

盲点を実体として。

やりたいことを実体として。

以上を踏まえて、2017年にやりたいことを、以下のとおり報告いたします。
一年、よろしくお願いいたします。






■細マッチョ目指して筋トレ。